JR桜井線畝傍(うねび)駅は橿原神宮の最寄駅
初代天皇とされる神武天皇を祀る橿原神宮の最寄駅が畝傍駅であった。
かつては皇族方はこの駅でお召列車を降り、一時休憩されて車で参拝に向かわれたので、専用の貴賓室が設けらた。
この辺りの民家である大和棟といわれる屋根の面影を残した木造の駅舎の右側には専用の玄関があり、内部はほとんど当時のまま残されている。外観は和風の造りであるが、やはり皇室関係は洋風が意識された和洋折衷の内装になっている。近年は近鉄電車を使われるようになり、皇族の来訪が無くなり久しい今は無人駅で1日の乗車数400人程でひっそりとしている。普段この貴賓室は閉鎖されているが、年一回の一般公開がある。(貴賓室が造られた駅は全国でも20カ所程で稀少な駅の一つであった)

所在地:奈良市八木町
建築年:1940年(昭和15)
構  造:木造平屋建
設  計:

f0374868_05441154.jpg

左側が一般向けの駅舎、改修時に変ったようだが、勾配の違う二段の屋根に大和棟の面影が残る。右側は貴賓室。


f0374868_05442570.jpg

両側へ引き分けて広い開口を持つ専用の玄関。


f0374868_05445733.jpg

貴賓室は全体で100㎡程の広さがあり、玄関を入ると広い廊下があり、一番奥にホームへの出口があった。
右側に控えの間と洗面所、トイレそして一番奥が30㎡程の主室。この写真は廊下の天井。


f0374868_05444284.jpg

廊下の壁:和の造りではあるが、腰壁、ドアなど洋風を取り入れてある。


f0374868_05451726.jpg

控え室の天井:壁面の写真がないのは掲示物が多くて撮れなかった。


f0374868_05453806.jpg
ゆっくり休憩される雰囲気の設えではないように見えるが、応接セットがあればまた違うのかなと思う。


f0374868_05455492.jpg
曲線を用いた折り上げ格天井に格式を感じる。元からあったシャンデリアは交通科学博物館に保管され、
応接セットは神戸駅に保管されているらしい。


f0374868_05460958.jpg



f0374868_05462944.jpg
現在塞がれているが、貴賓室の廊下からホームへの出口であった。正面に専用の階段がある。


f0374868_05464479.jpg



f0374868_05470673.jpg



f0374868_05472417.jpg



f0374868_05474271.jpg
おそらく同じ頃の手摺りではないかと思う。アールデコ風のお洒落なデザイン。
今なお木造の駅舎と云う事で鉄道マニアにもよく知られているらしい。





[PR]
by gigi-yo-ko | 2016-08-21 12:00 | 奈良県

宝型屋根に相隣の塔屋を持つ折衷様式の校舎
明治29年創立の奈良尋常中学校畝傍分校として高市郡八木町に設置された歴史のある学校で、明治32年には旧畝傍中学校と改められ、昭和8年(1933)当地に移転した。この時に建設された北館と南館二棟からなるエの字型の大規模な建物。
本瓦屋根が並んだパラペットに、宝型屋根、相輪を載せ一見寺院のように見えるが、細部を順に見てゆくと整然と並んだ縦長窓、窓下にはタイルが使われ、全体の意匠は洋風建築の基本とも云われる三層構成である。
「洋館に和風の屋根を載せた」帝冠様式と云われるものと似てはいるが、国粋主義や、日本的表現という意識ではなく、和洋を巧みに取り入れた日本風折衷様式といえる。
正面である北館は堂々とした寺院風であり、渡り廊下で繋がれた南館は切り妻屋根を持ち、正面を引き立てるべく、少し控え目な民家風。建築時期がセセッションの流行期であり、設計者・岩崎平太郎は武田五一(セセッションの導入者)の弟子でもあった事からセセッション風の幾何学装飾も上手く使われている。

所在地:橿原市八木町3-13-2
建築年:1933年(昭和8年)
構  造:鉄筋コンクリート造3階建
設  計:奈良県土木営繕課技手 岩崎平太郎(古社寺の修復の仕事に携わっていた事から和の伝統建築に詳しい)
国登録有形文化財(北館、南館、渡り廊下、倉庫)

f0374868_08371418.jpg


f0374868_08372627.jpg


f0374868_08380817.jpg


f0374868_08510399.jpg
奈良は空襲を免れたと一般には云われているが、第二次世界大戦の末期には空襲があり、学徒疎開もあった。この校舎は機銃掃射で銃撃を受け、玄関左上の壁にぽつぽつと模様のように見えるのは弾痕の補修跡。戦後十数年間はその痛々しい痕跡を生徒達に見せていた。
私も奈良と京都は空襲がなかったという一般論を漠然と信じていたので、こうして目の前で弾痕の補修跡を見ると・・・目が覚めるような衝撃だった。(学校で保管されている補修前の写真も見せて頂いた。)


f0374868_08390206.jpg


f0374868_08594692.jpg



f0374868_08431726.jpg



f0374868_08424872.jpg


f0374868_08434308.jpg

後で改修された物であるがアールデコ風の庇。


f0374868_08435507.jpg

明治39年に制定された「校訓」を現在まで引き継がれている。



f0374868_08392662.jpg


f0374868_08393999.jpg
校長室には天皇の御真影と教育勅語を保管していた金庫「奉案庫」が現存する。


f0374868_08400741.jpg

奈良県が実施した公立高校耐震診断では「A1」を取得。廊下を見ると柱が多くていかにも頑丈そう。
「A1」は耐震工事の必要性がないということだが、都度毎に手を入れているそうだ。


f0374868_08403807.jpg
黒板は最初からのものを手入れしながら使っている。廊下の腰壁と意匠が揃えられているが、めずらしい横貼りの腰壁。


f0374868_08410844.jpg


f0374868_08412684.jpg



f0374868_08421336.jpg


f0374868_08415332.jpg
北館の屋上から南館を見る。


f0374868_08552384.jpg
南館の南面。

f0374868_08465527.jpg

飾り窓の内側

f0374868_08471605.jpg
鉄筋校舎と同じ頃に建てられたと思われる木造もやはり和洋折衷様式。



f0374868_08473026.jpg
1986年(昭和61)に復元新築された資料庫。元は校舎の東側にあった大正5年の御大典(即位の礼)記念図書閲覧室。
現在は校舎の西側。


f0374868_09213150.jpg











[PR]
by gigi-yo-ko | 2016-08-14 12:00 | 奈良県

アレンジした雷文風の柱頭が印象的
旧六十八銀行は明治11年に旧郡山藩主柳沢保申によって設立された国立銀行が前身。後に法人化、合併により南都銀行となり、戦後の一時期は映画館として使われ、昭和38年以降は和歌山銀行として使われた。
銀行の用途を終えた建物は、非日常の贅沢な空間を生かして結婚式場・フランス料理店とし現在使われている。曳家により後へ数メートル移動して改修工事が行われた。
銀行建築らしく重厚で左右対称形の建物であるが、古典様式を基本にしながらも、昭和初期らしくモダンに整理してアレンジしてある。印象的なのはギリシャのイオニア式風の柱頭飾りは四角い渦巻きで雷文風、日本式に言うと「卍崩し」のデザイン。入口廻りにはタイルと石が組合わせてあり、要石(かなめいし)風の装飾も直線で構成されている。内部は店舗用に改修されているが、ベランダ(回廊)の手摺りなどは幾何学的デザインで、当時の流行が取入れられている。

所在地:橿原市八木町1-2-13
建築年:1928年(昭和3)
構  造:鉄筋コンクリート造2階建
設  計:奈良県技師 舟橋俊一
国登録有形文化財

f0374868_11420635.jpg


f0374868_11422145.jpg

奈良県で最初の有形文化財であり、県内現存最古の鉄筋コンクリート造。


f0374868_11423637.jpg
柱の中程にも柱頭飾りと同じ四角い渦巻(雷文)が巻かれている。そしてこの部分に銅が使われているのアクセントになっている。


f0374868_11424933.jpg


f0374868_11425970.jpg


f0374868_11431216.jpg


f0374868_11433110.jpg


f0374868_11434084.jpg


f0374868_11435524.jpg



f0374868_11441101.jpg
手摺りの上の部分(円が3つずつ並んだ)は改修時に付加されたもの。


f0374868_11442732.jpg
この部分が元々の手摺り。どんな色だったのだろう。



f0374868_11444081.jpg



f0374868_11513049.jpg
金庫のドアの向こうは厨房


f0374868_11514714.jpg


手前の石の腰壁部分までが客溜り(ロビー)で、奥が営業室だったことが解る。









[PR]
by gigi-yo-ko | 2016-08-07 12:00 | 奈良県