図書館と並んで、かつての紡績工場は新しい洲本のシンボル
明治期に紡績の街として栄えた洲本市の歴史的な街並みを残しながら、地場産業の振興や新しい産業の創造と工芸やアートを紹介する事を目的とした複合的な商業施設で、カフェ、ギャラリー、レストランなどが入居している。
100年程の時間が創った味わい深い煉瓦の外壁をいかして、内部のモダンな建物と対比が新鮮な感じ。

所在地:洲本市塩屋1-1-8
竣 工:1909年(明治42)
構  造:煉瓦造
設  計:横河工務所
施  工:竹中工務店
近代化産業遺産

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2artisanパッチワークのようなおもしろさであるが、新しい材料では出せない持ち味。

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8artisan保存再生された煉瓦の建物が囲む公園【洲本市民広場】からの様子。


№315


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by gigi-yo-ko | 2016-05-22 12:00 | 兵庫県

煉瓦の壁を生かして新しい図書館が誕生した
明治33年に創業した鐘紡洲本工場は何度も増築を重ね、100年を過ぎた煉瓦の美しい建築群がつくる街並みは地元の人にとってかけがえのないものであった。
1986年(昭和61)に紡績工場は操業を停止して以来荒れるままなっていたが、1997年(平成9)一部の建物が壊される時「煉瓦造りの建物を残せないか」という希望が寄せられ、市民運動によってこんなに居心地のよい図書館が誕生した。
リノベーションの設計は図書館建築の第一人者といわれる鬼頭梓によるもので、再生された図書館は高い評価をうけている。日本図書館建築協会賞など多くの建築関係の賞を取得している。

所在地:洲本市塩屋1-1-8
竣 工:1909年(明治42)   【改修・再生】 2001年(平成13) 
構  造:煉瓦造                    鉄筋コンクリート造2階建 一部鉄骨造
設  計:横河工務所                 鬼頭梓建築設計事務所(佐田祐一)
施  工:竹中工務店
近代化産業遺産


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05sumoto右は紡績工場の最大の特徴である塵突(工場内の綿屑を屋外に排出する煙突のような物。)


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08sumoto解体煉瓦を1個ずつ丁寧にはずし、ケレンした再生煉瓦を敷き詰めた中庭。煉瓦の数は9万個を超えるという。いくつもの工場で造られたことが解るように、刻印を表に出したりしてあるそうだが、現地では古い煉瓦の床に見とれて、刻印までは気が付かなかった。

09sumotoおそらく何回か改造を重ねられたと思う。煉瓦の壁に刻まれた歴史をあえて残してある。等間隔の柱の跡、下の方にあるアーチの跡、雨漏りのしみ、3つ並んだ四角い穴は何の跡? 

11sumoto強度調査のために開けた穴を煉瓦でふさいである。こんなことができるんやなー。

12sumoto通風のために改修時に付けられた窓。

13sumoto児童コーナーからガラスで囲まれた中庭が見える。


14sumoto玄関ホール:ここにも煉瓦のアーチが残る。

16sumoto外から煉瓦壁の上に見える長い天窓。自然光の下には新聞閲覧用の机ある。


17sumotoテラス:こんなに気持ち良い所で読書することもできる。

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20sumotoビッシリと工場が並ぶ写真。これだけの規模の紡績工場が今は無い事、鐘紡いう会社も今は無い事を改めて思い知った。



№314



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by gigi-yo-ko | 2016-05-18 12:00 | 兵庫県

煉瓦の紡績工場はレストランとして残された
かつてこの辺りは広大な鐘紡の紡績工場であった。
この建物は鐘紡洲本工場・第3工場の機械室として建てられた。第1、第2工場は蒸気を主動力としていたので工場の中央部に機械室を設けていたのに対して、第3工場は電気を主動力にしたため、工場とは離れた場所に独立した機械室を設ける事ができた。綿糸紡績工場の主動力の変化を刻んだ歴史的建物でもある。
1986年(昭和61)に工場の操業を停止して以来、市民から保存を望む声が強く、数々の検討期間を経て1996年(平成8)あまり工場時代の姿を変える事無く、レストランとして再生された。

所在地:洲本市塩屋1-1-8
竣 工:1920年(大正9)
構  造:煉瓦造2階建
設  計:横河工務所
施  工:竹中工務店
近代化産業遺産

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09mitukekuni建物の後側は公園【洲本市民広場】に面している。

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№313



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by gigi-yo-ko | 2016-05-15 12:00 | 兵庫県

カトリック伏見教会

スパニッシュスタイルで温かみのある教会
聖母女学院に隣接してカトリック伏見教会がある。(すぐ隣であるが関連の施設ではない)
塔と玄関に並ぶ4本柱のが古典的な印象であるが建築時期は昭和26年で戦後の建物である。設計者は不詳であるが、アメリカ人の神父さんがデザインしたとも伝えられている。
小ぶりではあるが、内外共に温かみのある建物で穏やかな空気に包まれている。

所在地:京都市伏見区深草直違橋5-312
建築年:1951年(昭和26)
構  造:
設  計:

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05fushimi玄関に対して右手の入り口

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№312







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by gigi-yo-ko | 2016-05-11 12:09 | 京都府

偕行社としてはめずらしい和洋折衷建築
日露戦争が長期化する中、戦力増強のために第十六師団が増設された。師団司令本部(現在の聖母女学院本館)の近く、北東に偕行社が建てられた。旧陸軍の社交場である偕行社は全国にいくつか残されているが、おおむね決まったスタイルで建てられていて、他所では全部本格的な洋館なんだそうだ。ここ第十六師団偕行社のみ和風建築の特徴を取入れつつ洋風に仕上げてある。おそらく京都という土地柄を考慮したのではないかと思われる。
 終戦後、師団司令本部と同様に国から払い下げを受け、ヌヴェール愛徳会の施設として大切にされている。案内して頂いた職員の方もこの建物を誇りにしておられる様子が伝わってきた。戦争の遺構を現在修道院として使われているが、眺めていると京都の寺院のようにも見えてきていろんな顔を持つ建物である。
ヌベェール愛徳会はフランスの修道会で、日本では大阪の玉造に大正10年に設立されれ、大正12年には聖母女学院を創立した。

所在地:京都市伏見区深草田谷町
建築年:1910年(明治43)
構  造:木造平屋
設  計:陸軍技師 加藤賢 
(設計者不詳とされていたが残されていた棟札から最近判った。笠原先生の解説によると1909年に東京帝国大学を卒業した1年目の仕事)


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真正面からの写真は香川県の善通寺偕行社とよく似ている。


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建物の中央を「おみどう」とされている。天井は先日見た岡山の偕行社の2階にも同じ素材が使われていた。


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柱を見せた真壁風の造り(建具は取替えられている。)


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柱、長押、が見える和風の造りで、折り上げ格天井のようにも見えるが、南側は廊下の上の高窓から光が差し込む。

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建物の周囲に廊下が廻っているが、1960年代中頃まで南側の廊下はガラスは入っておらず吹き放ちであった。
その様子を想像すると寺院の高欄のよでもあり、コロニアル様式の洋館のベランダのようでもある。

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千鳥破風の車寄せが和風建築を印象づけているが、ポーチの柱装飾や窓廻りを見ると西洋風。

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偕行社時代からの門柱。

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№311









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by gigi-yo-ko | 2016-05-08 12:00 | 京都府

戦時中は真っ黒に塗られていたという
日露戦争の末期である明治38年、軍備拡張にともない第十六師団が増設された。その中心的な建物として工期8カ月で建設された。当時深草一帯は広大な軍都で、伏見は軍都として発展した街。
終戦後、昭和24年に国から土地と建物の払い下げを受け、京都最初のカトリック学校・聖母女学院本館として使われている。
ルネサンス風の意匠で均整のとれた美しい煉瓦造の建物であるが、戦時中は空襲を避けるため真っ黒に塗装されていたので、開校間もない頃の写真は黒い建物だった。後に丁寧に洗浄されて本来の赤煉瓦の姿に戻された。内部はほぼ戦時中のまま使用されいて、高い天井、部屋毎の暖炉や、階段の親柱など見どころが多い。

所在地:京都市伏見区深草田谷町1
建築年:1908年(明治41)
構  造:煉瓦造2階建て(幅60m奥行15m)
設  計:陸軍省(明治に於いて完成度の高い洋風建築である事からイギリス人の設計という設もある)
登録有形文化財 

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マンサード屋根



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イオニア式の柱頭を持つオーダーが玄関を引き締めている。 三角のペディメントには現在校章が付けられているが、元は菊の紋章だった。



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アーチ型の入り口に付けられているアルミドアに少し違和感を覚えるが、もとはドアは無くオープンな玄関だったとの説明。



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建物中央部は前後に張り出している。


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正面は外観を重視して、整然と窓が並んでいるのに対して、背面は部屋の使い勝手を重視して窓を配置してある。



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背面中央の様子


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小学校のグランドから背面を望む。



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馬に乗ったまま書類の受け渡しを行うために高い位置に受付窓口がある。転回ができるよう広い玄関が取られている。


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菊の紋章が刻まれた暖炉


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2階中央に団長室(現在は理事長室)


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ルネサンス風の装飾が施された室内側の窓廻り


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by gigi-yo-ko | 2016-05-01 12:00 | 京都府