2012年 09月 28日
岡山禁酒会館
マンサード屋根が特徴の気になる名前の建物
岡山城の近くにおもしろい名前の古い洋館があります。大正10年頃の社会情勢は、景気が悪くなり社会不安が増すと酒に逃げる人が増える・・・周りに酒害を与える事を防ぐために禁酒運動の拠点施設として建てられた建物で、食事や宿泊の設備もあったそうです。こんな運動が全国にあったんですね。 (1920年~1933年アメリカでは禁酒法がありました)
ほとんどが焼けてしまった昭和20年の大空襲も奇跡的に免れて、90年程になりますが外観は最初の姿を保って今なお貸しビルとして現役です。酒害相談所もあります。
所在地:岡山市北区丸の内1-1-15
建築年:1923年(大正12)
構 造:木造3階建て
設 計:
国登録有形文化財



マンサード屋根:(腰折れ屋根・17世紀フランスの建築家マンサールが考案)
ドイツ壁:(本来はモルタルを掃き付ける仕上をいう。この頃の洋館にはよく使われた手法で、塗装材料をドイツから輸入したのが名前の由来となっている)そして白いタイルと凝った意匠ですが設計者は不詳。

1階には禁酒会館食堂・珈琲屋ラヴィアンカフェが有り、旅ガイドや雑誌のグルメ記事等でよく見かけます。
1日10食限定、幻の復刻カレーがあるそうです。

コーヒーカップには禁酒会館のマークが入っているが、カップもスプーンも新しいので残念!
もう少し建物に時代にあった形のカップ(復刻版のようなのでも)が出てきたらうれしくてドキドキしたと思う。
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2012年 09月 26日
船場ビルディング
エントランスを入ると木煉瓦を敷いたパティオが広がる
三休橋筋拡幅と時期を合わせて竣工した建物ですが、当時珍しいオフィースと住宅を併せ持つビルでした。地下1階と1階がメゾネット方式のアパート、2階、3階がオフィース、4階にはダンスホールが有ったそうです。現在はすべてオフィースとして使われています。外観は至ってシンプルなビルなので、エントランスを潜ると驚きがあります。今では、街中のパティオ(中庭)はこの上もない贅沢です。建築当時は道路が木煉瓦で舗装されており、トラックや荷馬車をそのまま引き込むのに便利なように機能性を重視して設計されたパティオなのです。
木煉瓦の道路を荷馬車が行き、エントランスに入ってゆく光景が目に浮かびます。まさに大正ロマン。
所在地:大阪市中央区淡路町2-5-8
建築年:1925年(大正14)
設 計:村上徹一
構 造:鉄筋コンクリートレンガ造4階建地下1階
国登録有形文化財

(企業のホームページを参照) 明色化粧品の桃谷順天館の創業者が建てたビルです。






この時期を象徴するぜんまい模様



2012年 09月 17日
綿業会館 (日本綿業倶楽部)
1929年の世界大恐慌の中で、大阪は英国ランカシャーを抜いて綿繊維輸出世界一になり、東洋のマンチェスターと呼ばれていた時期です。開館早々に各国の要人が来館し、国際会議の場としてもよく利用されました。
建物の外観は設計者によると「コロニアルスタイル(植民地様式)を加味した近代式」とし、内部は部屋ごとに様式を変えて、会員の好みに応じて好きな部屋で楽しんでもらえるようにとの配慮がなされています。普通、外観と内部の様式を揃えるのが常道なのでこれは思い切った取組だと思います。設備面では、冷暖房の普及を予測して、ダクトを太くし、地下に冷暖房設備のスペースを確保してあったそうです。80年を超えた今もこのダクトは使われています。
所在地:大阪市中央区備後町2-5-8
建築年:1931年(昭和6)
構 造:鉄筋コンクリート6階建 地下1階
設 計:渡辺節・ヘッドドラフトマン村野藤吾
国登重要文化財



やはりここにも甕(かめ)飾りが2つあります。正面を外して控えめに。中央電気倶楽部とはまるで扱い方が違います。
甕の意味をもう少し詳しく知りたいのですが、中々資料が出てきません。


玄関ホール・・・ルネサンス:15世紀初めフィレンツェで起こりヨーロッパに広がった古典主義の建築様式





会員食堂・・・ミュラールデコレーション:建築様式ではなく天井梁型を覆う装飾を指しています。
当時アメリカ で流行していたスタイルだそうです。



床の高さを変えて視線を外す工夫。
外側(玄関ホール側)はトラバーチン(虫食い風の大理石)の壁
食堂の内壁は食器の音を吸収するコルク素材を使用。左が内側、右が外側、同じ壁に見えますが違う材質です。
談話室・・・ジャコビアンスタイル:17世紀初期のイギリスルネッサンスの建築様式。直線を主体とした意匠が特徴




ここではタイルタペストリーと呼ばれ、京都泉湧寺の窯元で焼いたもの。5種類の柄を設計者自ら並べたといわれています。

各部屋にワイヤー入りの耐火ガラスが使用されていたため戦火を免れました。

特別室・・・クイーンアンスタイル:住宅によく使われるスタイルで、重い直線と曲線による構成の意匠。
ここでは、壁、窓、ドアが直線なのに対して家具、天井が曲線の構成。




会議室・・・アンピールスタイル:帝政様式とも呼ばれナポレオン一世の時代に流行したスタイル。古典様式に属しますが、ナポレオンの権威を表す為にギリシャやエジプトの装飾を取り入れてあります。長手方向にある両ドアに鏡が使われているので、
奥行が永遠です。通称鏡の間と呼ばれています。




大会場・・・アダムスタイル:ルイ16世スタイルとも呼ばれる優雅で軽快な古典スタイル。18世紀イギリスの建築家アダムス4兄弟によって始められた様式。ギリシャ、ローマの古典が大きく影響しています。ここでは柱型を並べた壁に特徴があるそうです。
(催事の最中で写真は撮れませんでした)

地下グリル・・・大理石の壁に埋め込まれた象嵌の模様、青いモザイクガラスの壁、バーカウンター、廻り階段。


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2012年 09月 14日
南海電車 蛸地蔵駅舎
岸和田より一つ先の駅ですが、おもしろい駅名でこの地にある天性寺(てんしょうじ)の通称です。かつて岸和田城が攻められた時、一人の法師(地蔵尊の化身)と数千の蛸が現れて城の危機を救ったと言い伝えられてこの時の地蔵尊が天性寺に納められています。物語のワンシーンが駅舎のステンドグラスです。(武士が蛸に墨をかけられている絵)こんなユーモラスなステンドグラス初めて見ました。
本題の駅舎は南欧風の軽快な感じがする西洋館。
所在地:岸和田市南町43-12
建築年:1925年(大正14)
構 造:木造平屋建て
設 計:





窓の繊細な桟がこの建物のもう一つの表情です。蛸の絵とはとても結び付かないでしょう。

攻めてくる武士に墨をかけている蛸の表情を見てください。
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2012年 09月 09日
成協信用組合岸和田支店 (旧四十三銀行)
赤レンガと花崗岩の重厚な建物は現在営業中の信用金庫
紀州街道をてくてく歩くと、らんかん橋の手前から見えてきます。今まで見てきた銀行建築はほとんどがシンメトリー(左右対称)でしたが、ここは少し様子が違います。角をアールにして両面が正面のような感じです。しかしこの銀行ならではの重厚感は一度見たら忘れない強烈な個性です。今日偶然見つけたのですが、「あ、ネットで見た建物」とすぐわかりました。
市のホームページによると内部に柱が一本も無い吊り天井のなっているとの事。
所在地:岸和田市魚屋町2-1
建築年:1919年(大正8)
構 造:鉄筋コンクリート2階建て
設 計:不詳 (作風からして辰野金吾もしくはその門下生の佐伯與之吉ではないかという説もあります)


右側の白いタイル部分はなぜ、赤レンガ風タイルではないのか?デザインの意図がよくわかりません。
上部に二段ある花崗岩のボーダー(横のライン)や細工は白タイル部と赤タイル部を揃えてあります。増築でもないようです。






こんな懐かしいものが・・・よく残っていたと思います。
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2012年 09月 05日
C・T・L・BANK (旧和泉銀行本店)
岸和田駅を降りて発見!が多く、色々寄り道しましたが、ここが主目的の建物です。
和泉銀行本店として建てられて、後に阪南銀行、大阪銀行、戦後は住友銀行、岸和田信用金庫、泉州信用金庫、南大阪信用金庫、大阪信用金庫、8行も入れ替わり、現在は地元の企業が関連3社(C・T・L は3社の頭文字)で事務所に使われています。地元のイベント等にも開放されて、この建物は蘇ったようです。改修にあたっては当初の銀行建築の様子を尊重して行われました。
所在地:岸和田市北町14-3
建築年:1933年(昭和8)
構 造:鉄筋2階建
設 計:渡辺節(大阪市の綿業倶楽部、岸和田市の自泉会館などを設計)
国登録有形文化財





照明器具ではなく、トップライト(天窓)ですよ。改装時に設置されたようです。


イルカの柱頭飾り・・・めずらしいです。海が近いからでしょうか?
イルカの下の葉のように見えるのは波かもわかりません。設計者に聞いてみたい気がします。


金庫内の床は煉瓦(タイル)で耐火構造 壁厚は50㎝程度あります。



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2012年 09月 03日
西田クリニック
岸和田の玄関に大正建築の現役医院
南海電車、岸和田駅を降りると正面の白い洋館が目に止まります。別の建物が目的で岸和田へはじめて来たのですが「洋館マニア」としては、通り過ぎる訳にゆかず、近づいてみると市の案内版があます。大正5年に建てられた物で昭和5年、昭和通り拡幅工事で縮小されたものの建築当初の姿を引き継いで再改修されて大切にされているようです。昭和30年頃の写真も載っていましたが縮小されてこの写真なので最初はずいぶん大きな建物だったようです。
所在地:岸和田市宮本町2-3
建築年:1916年(大正5)
構 造:木造2階建
設 計:




現地の案内版に載っていた写真です。奥には近畿相互銀行(近畿大阪銀行として現在も営業中)が見えます。
2012.8 撮影