JR桜井線畝傍(うねび)駅は橿原神宮の最寄駅
初代天皇とされる神武天皇を祀る橿原神宮の最寄駅が畝傍駅であった。
かつては皇族方はこの駅でお召列車を降り、一時休憩されて車で参拝に向かわれたので、専用の貴賓室が設けらた。
この辺りの民家である大和棟といわれる屋根の面影を残した木造の駅舎の右側には専用の玄関があり、内部はほとんど当時のまま残されている。外観は和風の造りであるが、やはり皇室関係は洋風が意識された和洋折衷の内装になっている。近年は近鉄電車を使われるようになり、皇族の来訪が無くなり久しい今は無人駅で1日の乗車数400人程でひっそりとしている。普段この貴賓室は閉鎖されているが、年一回の一般公開がある。(貴賓室が造られた駅は全国でも20カ所程で稀少な駅の一つであった)

所在地:奈良市八木町
建築年:1940年(昭和15)
構  造:木造平屋建
設  計:

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左側が一般向けの駅舎、改修時に変ったようだが、勾配の違う二段の屋根に大和棟の面影が残る。右側は貴賓室。


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両側へ引き分けて広い開口を持つ専用の玄関。


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貴賓室は全体で100㎡程の広さがあり、玄関を入ると広い廊下があり、一番奥にホームへの出口があった。
右側に控えの間と洗面所、トイレそして一番奥が30㎡程の主室。この写真は廊下の天井。


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廊下の壁:和の造りではあるが、腰壁、ドアなど洋風を取り入れてある。


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控え室の天井:壁面の写真がないのは掲示物が多くて撮れなかった。


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ゆっくり休憩される雰囲気の設えではないように見えるが、応接セットがあればまた違うのかなと思う。


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曲線を用いた折り上げ格天井に格式を感じる。元からあったシャンデリアは交通科学博物館に保管され、
応接セットは神戸駅に保管されているらしい。


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現在塞がれているが、貴賓室の廊下からホームへの出口であった。正面に専用の階段がある。


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おそらく同じ頃の手摺りではないかと思う。アールデコ風のお洒落なデザイン。
今なお木造の駅舎と云う事で鉄道マニアにもよく知られているらしい。





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by gigi-yo-ko | 2016-08-21 12:00 | 奈良県

宝型屋根に相隣の塔屋を持つ折衷様式の校舎
明治29年創立の奈良尋常中学校畝傍分校として高市郡八木町に設置された歴史のある学校で、明治32年には旧畝傍中学校と改められ、昭和8年(1933)当地に移転した。この時に建設された北館と南館二棟からなるエの字型の大規模な建物。
本瓦屋根が並んだパラペットに、宝型屋根、相輪を載せ一見寺院のように見えるが、細部を順に見てゆくと整然と並んだ縦長窓、窓下にはタイルが使われ、全体の意匠は洋風建築の基本とも云われる三層構成である。
「洋館に和風の屋根を載せた」帝冠様式と云われるものと似てはいるが、国粋主義や、日本的表現という意識ではなく、和洋を巧みに取り入れた日本風折衷様式といえる。
正面である北館は堂々とした寺院風であり、渡り廊下で繋がれた南館は切り妻屋根を持ち、正面を引き立てるべく、少し控え目な民家風。建築時期がセセッションの流行期であり、設計者・岩崎平太郎は武田五一(セセッションの導入者)の弟子でもあった事からセセッション風の幾何学装飾も上手く使われている。

所在地:橿原市八木町3-13-2
建築年:1933年(昭和8年)
構  造:鉄筋コンクリート造3階建
設  計:奈良県土木営繕課技手 岩崎平太郎(古社寺の修復の仕事に携わっていた事から和の伝統建築に詳しい)
国登録有形文化財(北館、南館、渡り廊下、倉庫)

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奈良は空襲を免れたと一般には云われているが、第二次世界大戦の末期には空襲があり、学徒疎開もあった。この校舎は機銃掃射で銃撃を受け、玄関左上の壁にぽつぽつと模様のように見えるのは弾痕の補修跡。戦後十数年間はその痛々しい痕跡を生徒達に見せていた。
私も奈良と京都は空襲がなかったという一般論を漠然と信じていたので、こうして目の前で弾痕の補修跡を見ると・・・目が覚めるような衝撃だった。(学校で保管されている補修前の写真も見せて頂いた。)


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後で改修された物であるがアールデコ風の庇。


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明治39年に制定された「校訓」を現在まで引き継がれている。



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校長室には天皇の御真影と教育勅語を保管していた金庫「奉案庫」が現存する。


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奈良県が実施した公立高校耐震診断では「A1」を取得。廊下を見ると柱が多くていかにも頑丈そう。
「A1」は耐震工事の必要性がないということだが、都度毎に手を入れているそうだ。


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黒板は最初からのものを手入れしながら使っている。廊下の腰壁と意匠が揃えられているが、めずらしい横貼りの腰壁。


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北館の屋上から南館を見る。


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南館の南面。

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飾り窓の内側

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鉄筋校舎と同じ頃に建てられたと思われる木造もやはり和洋折衷様式。



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1986年(昭和61)に復元新築された資料庫。元は校舎の東側にあった大正5年の御大典(即位の礼)記念図書閲覧室。
現在は校舎の西側。


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by gigi-yo-ko | 2016-08-14 12:00 | 奈良県

アレンジした雷文風の柱頭が印象的
旧六十八銀行は明治11年に旧郡山藩主柳沢保申によって設立された国立銀行が前身。後に法人化、合併により南都銀行となり、戦後の一時期は映画館として使われ、昭和38年以降は和歌山銀行として使われた。
銀行の用途を終えた建物は、非日常の贅沢な空間を生かして結婚式場・フランス料理店とし現在使われている。曳家により後へ数メートル移動して改修工事が行われた。
銀行建築らしく重厚で左右対称形の建物であるが、古典様式を基本にしながらも、昭和初期らしくモダンに整理してアレンジしてある。印象的なのはギリシャのイオニア式風の柱頭飾りは四角い渦巻きで雷文風、日本式に言うと「卍崩し」のデザイン。入口廻りにはタイルと石が組合わせてあり、要石(かなめいし)風の装飾も直線で構成されている。内部は店舗用に改修されているが、ベランダ(回廊)の手摺りなどは幾何学的デザインで、当時の流行が取入れられている。

所在地:橿原市八木町1-2-13
建築年:1928年(昭和3)
構  造:鉄筋コンクリート造2階建
設  計:奈良県技師 舟橋俊一
国登録有形文化財

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奈良県で最初の有形文化財であり、県内現存最古の鉄筋コンクリート造。


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柱の中程にも柱頭飾りと同じ四角い渦巻(雷文)が巻かれている。そしてこの部分に銅が使われているのアクセントになっている。


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手摺りの上の部分(円が3つずつ並んだ)は改修時に付加されたもの。


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この部分が元々の手摺り。どんな色だったのだろう。



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金庫のドアの向こうは厨房


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手前の石の腰壁部分までが客溜り(ロビー)で、奥が営業室だったことが解る。









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by gigi-yo-ko | 2016-08-07 12:00 | 奈良県

古都奈良の景観との調和を考えた近代建築
奈良公園に似合わないと不評だったというネオバロック風の国際博物館の近くに、これとは対象的な和風建築がある。もとは奈良県物産陳列所として建設されたもので、西洋建築を修めた日本人建築家による最初の和風建築とされている。
外観を見てゆくと、入母屋造りの正面には唐破風の車寄せと玄関。細部の造りは舟肘木(ふなひじき)、人字型割束(にんじけいわりづか)、虹梁(こうりょう)、蟇股(かえるまた)と飛鳥時代から奈良時代の日本の伝統的な建築様式が取入れられている。ところが窓に目を移すと八弁花の丸窓やイスラム風の飾り窓、縦長の上げ下げ窓。この建物は一見和風建築であるが、小屋組み(屋根の造り方)はクイーンポストトラスで木造西洋建築の工法が取られている。内部は柱の見えない大壁造りで、外観よりもずっと西洋館である。
設計者・関野貞(せきのただし)は大学在学中から、宇治の平等院鳳凰堂(10円玉でおなじみ)に長く関心を持ち、調査を続けていた。これを意識してデザインしたと考えられているが、単なる写しではなく、西洋建築の要素を取り入れつつ、和風建築の要素を生かしたバランスの良い感覚は日本建築史家であり、西洋建築を修めた関野の力量だといえる。
この建物は仏教美術の図書館として、週2回開館するが、この日は基本的に建物の公開ではないし、敷地内部からの写真撮影もできない。以下の写真は敷地の外から写したもの。
館内の中央吹き抜け部分は「関野ホール」として、建物について詳しい説明パネルが設置されている。過去に不定期で数回一般公開がされたが、今後の公開予定などは決まっていないそうだ。

所在地:奈良市登大路町50
建築年:1905年(明治35) 
    昭和59年~63年:仏教美術研究センターとして活用するための保存修理が行われ一部当初の様子に復原された。
構  造:木造2階建
設  計:関野貞
国重要文化財

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正面の車寄せ:唐破風の屋根の下に見えるのが本蟇股、虹梁だと思うが、私には初めての言葉ばかりで、
現地で買った解説書を頼りに。



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中央楼 太瓶束 笈型


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中央楼・上層窓 東洋と西洋の接点と云われるイスラム風の装飾窓


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東楼 太瓶束 笈型



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屋根下、梁の下に見えるのは舟肘木、高欄の下に見えるのが人字型割束




館内で購入した参考図書
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奈良国立博物館・仏教美術研究センターの耐震補強改修工事の完了を記念して、建物の歴史などを詳しく
紹介する冊子が発行された。











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by gigi-yo-ko | 2016-07-31 12:00 | 奈良県

文豪自ら設計した和モダンの住まい
奈良は美しい所だと、かねてから志賀直哉の憧れの土地であったが、この辺りは春日山の原生林や飛火野の芝生が借景となり、静かで風光明媚な屋敷街。古くは、春日大社の神官たちの屋敷もあった。
志賀が自ら設計して、京都の数寄屋大工に依頼して新居を建てた。数奇屋を基調にしながらも、さりげなく洋風を取り入れ、特に食堂、サンルームなどは細部にわたって彼の好みにこだわったハイカラな部屋であった。
理想的な土地柄を求めて、志賀と前後して、多くの画家、文人たちが移り住み、高畑族という言葉も生まれ、やがて志賀邸はこうした人たちのサロンのようになり文化活動の核となった。そして「高畑サロン」と呼ばれるようになった。
充実した奈良の生活であったが、古い文化や自然に埋没して時代遅れになろうとしている自分を見て、更なる発展を求めて、東京へ転居した。ここでは9年間暮らしたが、彼は一生のうち28回転居した人。

所在地:奈良市高畑町1237-2
建築年:1928年(昭和3)
構  造:木造2階建て
設  計:志賀直哉
国登録有形文化財


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外観は純和風の建物


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和洋折衷の書斎:和室の畳を板張りに変えたような感じの部屋であるが、窓にこだわりがある。
引違い窓ではなく、引き分けて開口部が全開する。


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庭を見おろすためにあるような2階の二部屋


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食堂はこの家で一番広い部屋。単なる食事の部屋ではなく、自由な団欒や、応接にも使えるように設計されている。
現代の一般住宅には普通になった考え方であるが、この時すでに取り入れられていた。



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食堂の隅に革張りのソファーがあり、開放的なサンルームにつながる。


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サンルーム、ここは文人や画家たちが集う絶好の場所だったと思う。居心地が良くて、つい足が向いたのでは?


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和風建築でありながら天窓があり、明るい。


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まさに和洋折衷



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裏千家関係の大工(下嶋松之助)が建物のどこか茶室を造りたいと提案してできた本格的な茶室。


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庭の白梅が少し咲いていた。


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南と北に広い庭があり、中庭もある。平面図を見ると敷地の広さを実感する。







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by gigi-yo-ko | 2016-02-21 12:00 | 奈良県

高畑族の洋画家が設計した住居
ガーデンカフェ【たかばたけ茶論】というほうが分かる人が多いと思う。洋画家足立源一郎がフランスから帰国して、大正8年に南プロバンスの田舎家を模して、自邸を建てたと伝えられている。これを洋画家中村義夫が昭和3年に譲り受けた。内部は非公開であるが、奈良教育委員会の案内板によると、ステンドグラスの玄関、吹き抜けのアトリエ、サンルームがあるという。元々「高畑サロン」とは、隣にある志賀直哉旧居に画家や文人達が集い、こう呼ばれるようになったらしい。高畑サロンの経緯は次回志賀直哉旧自邸で取り上げる予定。

所在地:奈良市高畑町1247
建築年:1919年(大正8)
構  造:木造2階建
設  計:洋画家・足立源一郎
国登録有形文化財(主屋・塀)


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この辺りは明治初頭まで、春日大社の神官たちが土塀で囲った屋敷で暮らしていた。
この歴史を引継いで、広い敷地に当地特有の土塀が巡らされている。瓦は洋館と合わせて赤瓦で。


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こちらはカフェの入り口。街並みに合わせて土塀には黒い瓦が使われている。



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ステンドグラスは中から見ないと・・・な。


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鬱蒼として、洋館の全貌は見る事ができない。


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35年程前に庭の隅にカフェとして造られた建物。



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25年前に訪れた時は洋館の存在は知らなかった。カフェはその時と何も変わっていない。







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by gigi-yo-ko | 2016-02-17 12:00 | 奈良県

奈良ホテル


奈良の景観を配慮した優美な姿の和モダンホテル
日露戦争の後、外国人観光客の急増に対応するために、都ホテル創始者・西村仁兵衛、奈良県、鉄道院の3者で計画が進められ、明治42年に竣工・開業し、すでに100年を超えたホテル。
入母屋造りの屋根には鴟尾(しび)が上がり、漆喰壁に骨組みを露出させた真壁風の造り、舟肘木(ふなひじき)、内部は格天井(ごうてんじょう)など寺院建築を思わせる本格的和風建築のこだわりを見ますが、単に和風に回帰したものではなく、洋風建築を理解した新しい時代の和洋折衷様式といえます。ベットといすの生活に対応すべく天井高は従来の日本間より高く、柱の間には洋館に見る縦長の上げ下げ窓が設置されています。内装は豪奢な桃山御殿風と重厚なドイツ風が混在します。


所在地:奈良市高畠町1096
建築年;1909年(明治42年)
構  造:木造2階建て
設  計:辰野金吾・片山安  工事監理:河合浩蔵
近代化産業遺産


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舟肘木:柱の上部に有る小さい横材。この上の丸桁(がぎょう)を支えています。

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ダイニングルーム 三笠



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2重になった建具、外側は明治初期の洋館に見かけるフランス窓(バルコニーなどに出る開き戸)
内側は和式の引き戸。後で写真を見て気が付きました。

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吹き抜けのエントランスにフロント




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昭和19年の金属供出では階段・柱頭の真鍮製の擬宝珠まで供出し、代わりに地元名産の赤膚焼で陶製の擬宝珠が取付られました。
7代目の大家・大塩正人作で、以降はホテルの名物の一つだそうです。



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2階の吹き抜けの周りとこれに続く客室廊下は柱の見えない大壁造り(洋風の仕上げ)です。


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大正3年、一年をかけて従来の暖炉による暖房からスチームヒーターによるセントラルヒーティングに全館切り替えられました。
暖炉の煙突は順次撤去されましたが、各室の暖炉は室内装飾として残されました。
このヒーターは手をかざしてみたら、今も使われています。

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1階 ロビー 桜の間


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大正11年12月アインシュタインが滞在中に演奏したピアノ



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2012.12.1 撮影


 













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by gigi-yo-ko | 2012-12-03 12:00 | 奈良県