京都で現存最古の洋風商店建築
近代建築が多く残る三条通にこの中でも古い煉瓦の建物がある。明治の中期に時計店として建てられたハイカラな建物。設計者は解っていないが日本人大工が洋風建物を見よう見まねで工夫して造ったようだ。木造の骨組みに煉瓦や石を貼りつけた造り方で仕上げられている。
現在は衣料品のショップとして使われているが、外観は時計店と云う事で重厚感・・・最初は中央に一段高く時計塔があったと聞く。
店内に入ってみると100年以上経過しているのに、内部が殆どそのまま残っている事に驚いた。右手に大きい金庫室、左側の店内中央には二方向から上がる華麗な木製の螺旋階段。階段が美しいので店内の装飾物のようなの役目も担っている。この階段は恐れ多くも使って良いそうで、そろりそろりと2階の売り場へ上がる。1階2階の天井と壁の境目の装飾も、階段踊り場のカーテンボックスもたぶん建った頃のままで今、ショップとして使われている。何度も店子は変っているが、オーナーの考えがしっかり貫かれているからだと思う。

所在地:京都市中京区三条通富小路東入中之町23
建築年:1890年(明治23)
構 造:木骨煉瓦造
設 計:不詳
国登録有形文化財
京都市民が選ぶ文化財(第1号)

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見ていてなぜか落ち着かないと思ったら中央のアーチを支える柱が無い。洋風建築のアーチは根元を柱で支えてあるのが普通。
ここではアーチの下は曲面のガラス、ショウウインドウがあるのみ。和式工法の梁でこの大開口を支えてあるのかな~。


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これはガラスウインドウのカーブ部分の桟の頭(柱頭)



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右奥の金庫室の扉には全体に絵が描かれていて閉じると一つの絵画のようになる。


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外が暗くなると店内が美しく浮かびあがる。ステンドグラスも透かし彫りの欄間も昼間より数段映え、店は生き返ったよう。






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by gigi-yo-ko | 2016-11-13 12:00 | 京都府

西本願寺伝道院

東洋と西洋の建築、始発点は同じだという挑戦
京都の中心部、仏具店が軒を連ねる門前町に一風変わった建物が見えてくる。伊東忠太の設計による、真宗信徒生命保険の本館として建てられたもの。
伊東忠太は法隆寺とパルテノン神殿は始発点は同じ兄弟であるという「法隆寺建築論」を明治26年に建築雑誌に発表した。パルテノン神殿は木造が起源である事は今定説になっているが、日本の伝統的な木造建築も石造(煉瓦造)に進化できるはずだと考えた。同じような考えを持つ門主・大谷光瑞の支持を得て実験したのがこの建物だという。随所に見られる木造を石造に置き換えたような造りはこの結果である。
伊東忠太は1902年(明治35)から3年かけてアジア欧米を行脚し各地の建築物を研究し、20世紀はじめに大谷光瑞は仏教伝来の道筋を探るべくアジア各地へ探検隊(大谷探検隊)を3回派遣した。お互いに広い視野から日本文化を見つめた両者によってこの建物は完成した。
伊東の仮説は正かったとは言い難いがのちの近代建築の発展に大きく貢献した。

所在地:京都市下京区
建築年:1912年(明治45)  保存再生工事:2011年(平成23)
構 造:煉瓦造3階建
設 計:伊東忠太
重要文化財



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石、煉瓦、タイル、テラコッタ、木材、ガラス、あらゆる材料を調和させてある。


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煉瓦と石の外壁は19世紀の英国風のようでもあるがその上にはイスラム風の玉ねぎ型のドーム。



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伊東忠太は細部に凝る人。見れば見るほど発見がありおもしろい。


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建物を守る怪獣達はみんな羽根が付いていてどことなくカワユイ。


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この日は内部も公開されたが、館内撮影は禁止。


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№335



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by gigi-yo-ko | 2016-10-30 12:00 | 京都府

被差別部落の住民らによって設立された日本で唯一の銀行
明治期の銀行建築の様式をよく表しているこの建物は柳原町(崇仁すうじん地域)の村長明石民蔵ら地元有志によって明治32年に設立された柳原銀行の店舗として建られた。
差別のため資金を得られなかった皮革業者等に融資を行い産業の育成、発展に大きく貢献したほか、その利子を地元の小学校の運営資金や道路建設資金に充てるなど自力で差別撤廃を進める模範となった。
大正期には山城銀行と改称して業績を伸ばしたが、金融恐慌などの影響を受け昭和2年に倒産した。その後建物は借家、商店などに使われたが、昭和61年国道24号線拡幅工事のため取壊し案が持ち上がった。これを契機にまちづくりのシンボルとしてこの建物を保存しようという運動が盛り上がり、元の場所のすぐ近く(斜め向い)に移築復元さた。保存の為の解体調査により建築年や設計密度の高い貴重な明治期の洋風木造建物であることが判明した。なお京都に現存する銀行建築では旧日本銀行京都支店(現在・京都文化博物館)に次いで2番目に古い。しかも1年しか違わない。

所在地:京都市下京区下之町6-3
建築年:1907年(明治40)
構  造:木造2階建
設  計:吉川吉之助
京都市登録有形文化財


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1階右側は後年金庫室として増築。



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1階の天井:透かし彫りの入った六角形の豪華な格天井は創建時の様子をとどめている。照明器具は同時期の銀行を参考に復元。


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移築前、カウンターは既になくなっていたが銀行の営業室として使われていた竣工当時の姿に復元された。


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一階部分の階段は改築されていたが、二階部分を参考に復元。


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二階の天井も素晴らしい。

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移築の為の解体工事で見つかった棟札。


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外壁に弁柄を塗っていた時期もある。


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ドンツキの右側がかつての銀行。電車道の良い場所に建っていた。
この写真は外壁の色が違うようだが解体調査の当初の色が判明したのでこの色で復元。


№334










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by gigi-yo-ko | 2016-10-23 12:00 | 京都府

中世ヨーロッパを思うロマネスク様式の教会堂
明治6年、鎖国以来200年以上続いたキリスト教の禁止令が解かれ、各地に教会堂が建てられた。この教会は明治40年京都の河原町通りに建てらた旧京都五条教会。2階が会堂、1階は日曜学校や幼稚園に使われていた。十字平面を持ちロマネスク様式を基調にした古典的な教会は尖頭アーチなど、ゴシック様式の特徴も見える。
設計はハーバード大学で建築を学んだアメリカ人ガーディナーによるもの。明治13年に来日したガーディナーは立教大学の学長として教育、宣教に当たる一方では、建築家としても立教大学の校舎、青山学院ヘボン館、京都には長楽館などの作品を残している。

所在地:犬山市内山1番地博物館明治村1丁目6番地  旧所在地:京都市下京区河原町通五条
建築年:1907年(明治40)
構  造:1階・煉瓦造 2階・木造
設  計:ガーディナー
国重要文化財


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屋根に軽い金属板が使われているのは、日本に多い地震への配慮と考えられる。


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屋根を支える構造がそのまま美しい装飾のように見える。


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天井には蒸し暑い京都の気候を考えて竹を使っている。また勾配のある竹の天井は縦横に光を反射して館内を明るくしている。

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№321











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by gigi-yo-ko | 2016-07-06 12:00 | 京都府

カトリック伏見教会

スパニッシュスタイルで温かみのある教会
聖母女学院に隣接してカトリック伏見教会がある。(すぐ隣であるが関連の施設ではない)
塔と玄関に並ぶ4本柱のが古典的な印象であるが建築時期は昭和26年で戦後の建物である。設計者は不詳であるが、アメリカ人の神父さんがデザインしたとも伝えられている。
小ぶりではあるが、内外共に温かみのある建物で穏やかな空気に包まれている。

所在地:京都市伏見区深草直違橋5-312
建築年:1951年(昭和26)
構  造:
設  計:

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02fushimi

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05fushimi玄関に対して右手の入り口

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№312







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by gigi-yo-ko | 2016-05-11 12:09 | 京都府

偕行社としてはめずらしい和洋折衷建築
日露戦争が長期化する中、戦力増強のために第十六師団が増設された。師団司令本部(現在の聖母女学院本館)の近く、北東に偕行社が建てられた。旧陸軍の社交場である偕行社は全国にいくつか残されているが、おおむね決まったスタイルで建てられていて、他所では全部本格的な洋館なんだそうだ。ここ第十六師団偕行社のみ和風建築の特徴を取入れつつ洋風に仕上げてある。おそらく京都という土地柄を考慮したのではないかと思われる。
 終戦後、師団司令本部と同様に国から払い下げを受け、ヌヴェール愛徳会の施設として大切にされている。案内して頂いた職員の方もこの建物を誇りにしておられる様子が伝わってきた。戦争の遺構を現在修道院として使われているが、眺めていると京都の寺院のようにも見えてきていろんな顔を持つ建物である。
ヌベェール愛徳会はフランスの修道会で、日本では大阪の玉造に大正10年に設立されれ、大正12年には聖母女学院を創立した。

所在地:京都市伏見区深草田谷町
建築年:1910年(明治43)
構  造:木造平屋
設  計:陸軍技師 加藤賢 
(設計者不詳とされていたが残されていた棟札から最近判った。笠原先生の解説によると1909年に東京帝国大学を卒業した1年目の仕事)


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真正面からの写真は香川県の善通寺偕行社とよく似ている。


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建物の中央を「おみどう」とされている。天井は先日見た岡山の偕行社の2階にも同じ素材が使われていた。


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柱を見せた真壁風の造り(建具は取替えられている。)


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柱、長押、が見える和風の造りで、折り上げ格天井のようにも見えるが、南側は廊下の上の高窓から光が差し込む。

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建物の周囲に廊下が廻っているが、1960年代中頃まで南側の廊下はガラスは入っておらず吹き放ちであった。
その様子を想像すると寺院の高欄のよでもあり、コロニアル様式の洋館のベランダのようでもある。

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千鳥破風の車寄せが和風建築を印象づけているが、ポーチの柱装飾や窓廻りを見ると西洋風。

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偕行社時代からの門柱。

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№311









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by gigi-yo-ko | 2016-05-08 12:00 | 京都府

戦時中は真っ黒に塗られていたという
日露戦争の末期である明治38年、軍備拡張にともない第十六師団が増設された。その中心的な建物として工期8カ月で建設された。当時深草一帯は広大な軍都で、伏見は軍都として発展した街。
終戦後、昭和24年に国から土地と建物の払い下げを受け、京都最初のカトリック学校・聖母女学院本館として使われている。
ルネサンス風の意匠で均整のとれた美しい煉瓦造の建物であるが、戦時中は空襲を避けるため真っ黒に塗装されていたので、開校間もない頃の写真は黒い建物だった。後に丁寧に洗浄されて本来の赤煉瓦の姿に戻された。内部はほぼ戦時中のまま使用されいて、高い天井、部屋毎の暖炉や、階段の親柱など見どころが多い。

所在地:京都市伏見区深草田谷町1
建築年:1908年(明治41)
構  造:煉瓦造2階建て(幅60m奥行15m)
設  計:陸軍省(明治に於いて完成度の高い洋風建築である事からイギリス人の設計という設もある)
登録有形文化財 

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マンサード屋根



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イオニア式の柱頭を持つオーダーが玄関を引き締めている。 三角のペディメントには現在校章が付けられているが、元は菊の紋章だった。



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アーチ型の入り口に付けられているアルミドアに少し違和感を覚えるが、もとはドアは無くオープンな玄関だったとの説明。



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建物中央部は前後に張り出している。


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正面は外観を重視して、整然と窓が並んでいるのに対して、背面は部屋の使い勝手を重視して窓を配置してある。



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背面中央の様子


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小学校のグランドから背面を望む。



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馬に乗ったまま書類の受け渡しを行うために高い位置に受付窓口がある。転回ができるよう広い玄関が取られている。


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菊の紋章が刻まれた暖炉


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2階中央に団長室(現在は理事長室)


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ルネサンス風の装飾が施された室内側の窓廻り


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by gigi-yo-ko | 2016-05-01 12:00 | 京都府

河原町通に武田五一の建物が、二つ並んで

保存が決まった京都市役所本館の北側に、計測機器を作っていた旧島津製作所本社がある。どちらも武田五一が顧問として設計に係わった建物が河原町通に二つ並んでいる。正確にいうと間に一つ市役所の別の建物があるが。
旧島津製作所の建物は外観をほとんど変えずに、フレンチレストランと結婚式場として2012年3月にオープンした。内部は用途なりに改修されているが、古いエレベータを残すなど歴史的建物の持ち味を大事にしてある。網入りガラスのスチールサッシは当時のまま使用されていると思う。レストランは人気で待つ事が多いらしい、若い人から年配までいろんな年代の人が自然な感じで入っている珍しい店。

所在地:京都市中京区河原町通二条下ル一の船入町386-1
建築年:1927年(昭和2)
構  造:鉄筋コンクリート造4階建地下1階
設  計:武田五一(顧問)・荒川義夫

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店の名前は左の小さい表示だけ



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モダンな柱頭飾り



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ドア廻り石とタイルの組合せが格調高い



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こちらは結婚式場の入り口として新設されたようで古い写真を見ると別の建物が建っている。この先に増築されたチャペルがある。



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3階は楕円の窓とアーチ窓




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4階は四角い窓



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階段室の窓が階毎に違う形でおもしろい。 庭の写真を撮り忘れたが街の中に竹藪のような清々しさ。




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by gigi-yo-ko | 2016-01-17 12:00 | 京都府

辻徳 (辻徳商店)

ケーキ箱のような洋館
大正のはじめに創業した和紙の会社で、現在は「京都の懐紙専門店」として辻徳の屋号で営業している。ガイドブックなどにも時々登場し、旅行者のお客さんも多いのではと思う。洋館の可愛い店が純和風商品を扱っているので、意外性があり記憶に残るはず。
隣に隙間もなくマンションが建って見えなくなったが左側面も窓と波型(小さい連続アーチ)の装飾があり、本来は左斜め前からが一番のアングルだった。

所在地:京都市下京区堀川通り四条下ル四条堀川町271
建築年:1928年(昭和3)
構  造:
設  計:桝井工務店


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ドアがアルミに替わっているのは残念だけど入口廻りのタイルの使い方がおもしろい。
元のドアはどんなのだっただろうと、つい考えてしまう。


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上げ下げ窓はスチールのサッシなので、おそらく当初からのもの。面格子のモダンな事!



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円満字洋介氏の本に雨樋の上部の集水枡が星形と書いてあるので写真を拡大してみた。
壁の模様の星と逆向きで同じ形・・・こんな所まで合わせてある!きっと楽しんで仕事したのだろう。
造った人だけが知る秘密のように。


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右側の車庫に取り付けられた古い表札

懐紙専門店としてからは、「かたばみの紋」を店のマークとしているが、これは江戸時代の辻家の家紋であった。
(辻徳HPより)商品のイメージには花の紋はピッタリする。






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by gigi-yo-ko | 2015-10-25 12:00 | 京都府

鮮やかなマジョリカタイルが壁一面
1998年(平成10)まで銭湯・藤の森温泉として営業していたが平成11年に廃業した。ほとんど銭湯の時のままでカフェになった。
マジョリカタイルは、シンガポールや上海で見た記憶があるが、日本では、見る機会など無かった。なんと、このタイルは淡路島で焼かれたもので正しくは和製マジョリカタイル。イギリスのミントン社などで焼かれていた装飾タイルを模倣して、瓦を焼く技術を持っていた淡路島で最初に焼かれた。(現在のダントー株式会社)続いて、大正初期から昭和10年頃まで名古屋や多治見でも焼かれるようになり、イギリス製より安価だったために、中国、東南アジア、インドなどに盛んに輸出された。アジアで見かけるマジョリカタイルは日本製のものが結構多いとか。
国内では、関東大震災の復興に向けて衛生的で実用的と云われて白無地タイルの需要が急増し、マジョリカタイルは生産されなくなった。

所在地:京都市北区紫野藤ノ森11-1
建築年:1930年(昭和5)
構  造:木造2階建
設  計:京都工務所
登録有形文化財

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マジョリカタイルは金型で凸凹のレリーフをつくり、筆で1色づつ色釉のせるなど、大変な手間がかかり、高価なタイルだった。



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男湯と女湯の仕切り壁を半分壊した以外は銭湯のまま。湯船も床の下に残っている。



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外観は唐破風の屋根飾りで格調高い和風建築かと思えば、腰にはカラフルなマジョリカタイル。
唐破風は江戸時代までは神社仏閣、天守閣、大名屋敷などに権威の象徴として使われ、庶民が使うことは許されなかった。
明治以降はこの掟は解かれ、憧れや、晴れがましさとして、花街や芝居関係に多く使われ、関東では古い銭湯の玄関にもよく使われた。
その勢いが京都の銭湯にも。


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現地では気が付かなかったが鬼瓦に右から「藤の森温泉」と書いてある。カメラは私に見えないところまでちゃんと見ている。







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by gigi-yo-ko | 2015-03-29 12:00 | 京都府