志賀直哉旧居 (奈良学園セミナーハウス)

文豪自ら設計した和モダンの住まい
奈良は美しい所だと、かねてから志賀直哉の憧れの土地であったが、この辺りは春日山の原生林や飛火野の芝生が借景となり、静かで風光明媚な屋敷街。古くは、春日大社の神官たちの屋敷もあった。
志賀が自ら設計して、京都の数寄屋大工に依頼して新居を建てた。数奇屋を基調にしながらも、さりげなく洋風を取り入れ、特に食堂、サンルームなどは細部にわたって彼の好みにこだわったハイカラな部屋であった。
理想的な土地柄を求めて、志賀と前後して、多くの画家、文人たちが移り住み、高畑族という言葉も生まれ、やがて志賀邸はこうした人たちのサロンのようになり文化活動の核となった。そして「高畑サロン」と呼ばれるようになった。
充実した奈良の生活であったが、古い文化や自然に埋没して時代遅れになろうとしている自分を見て、更なる発展を求めて、東京へ転居した。ここでは9年間暮らしたが、彼は一生のうち28回転居した人。

所在地:奈良市高畑町1237-2
建築年:1928年(昭和3)
構  造:木造2階建て
設  計:志賀直哉
国登録有形文化財


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外観は純和風の建物


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和洋折衷の書斎:和室の畳を板張りに変えたような感じの部屋であるが、窓にこだわりがある。
引違い窓ではなく、引き分けて開口部が全開する。


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庭を見おろすためにあるような2階の二部屋


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食堂はこの家で一番広い部屋。単なる食事の部屋ではなく、自由な団欒や、応接にも使えるように設計されている。
現代の一般住宅には普通になった考え方であるが、この時すでに取り入れられていた。



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食堂の隅に革張りのソファーがあり、開放的なサンルームにつながる。


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サンルーム、ここは文人や画家たちが集う絶好の場所だったと思う。居心地が良くて、つい足が向いたのでは?


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和風建築でありながら天窓があり、明るい。


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まさに和洋折衷



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裏千家関係の大工(下嶋松之助)が建物のどこか茶室を造りたいと提案してできた本格的な茶室。


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庭の白梅が少し咲いていた。


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南と北に広い庭があり、中庭もある。平面図を見ると敷地の広さを実感する。







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by gigi-yo-ko | 2016-02-21 12:00 | 奈良県