芝川又右衛門邸 【明治村】2-1

阪神間モダニズムの郊外住宅の姿を復原
明治村において、この建物は随分新しい印象を受ける。理由は明治44年竣工の後、何度か増改築がなされているが、昭和2年和館増築の時期にあわせて、この洋館は外観などが大きく変更された。建築当初は、施主が「洋館を依頼したのに畳がリノリュームに替わっただけでまるで洋館らしいところはない」と言葉を残しているように、和の中に洋があしらわれた意匠であった。外壁は杉皮貼り、1階大改修が行われホールは聚楽壁、網代と葦簾の市松天井。
復原の方針は震災直前の姿(昭和初頭の改装時の姿)に。ただしベランダはガラスが建て込まれていたが、当初の吹きさらし状態に戻されたが、外壁は杉皮ではなく被災直前の渦巻き模様のドイツ壁風にされた。トイレ、浴室などは改修が著しい箇所であり参考復原とされた。
解体、採寸、調査、復原、に於いては、竹中工務店、名古屋の魚津工務店の採算を度外視した尽力やボランティア、学生など多くの人の協力によって、解体後12年を経て当時のオーナー芝川又彦氏の希望であった明治村へ移築復元された。以上「建築史学」題50号・神戸大学足立先生執筆の記事、博物館明治村のHPの解説等を参考

所在地:犬山市内山1番地博物館明治村3丁目68 (旧所在地:兵庫県西宮市上甲東園2丁目)
建築年:1911年(明治44)・・・移築竣工:2007年(平成19)
構  造:木造2階建
設  計:武田五一
国登録有形文化財(移築後)


1回目は外観とベランダ

01shibakawa移築は、西宮に建っていた時の地形に近い場所(崖地))が選ばれた。

02shibakawa昭和2年の大改修時には、杉皮貼りの外壁はスパニッシュ風な壁に変更された。関東大震災では、木造建築が火災で大きな被害を受けたことから、外壁にスパニッシュ風な壁を用いることが、特に関西では大流行した。

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05shibakawaベランダのスラブ(床)には崖地という悪条件を考慮して、当時画期的な鉄筋コンクリートが採用されていた。

06shibakawa移築前は、ベランダにガラスが建て込まれていた。崖地の上の開放的なベランダは、この住宅の原点と解釈して震災直前の姿に復原するという方針から外れるが、吹きさらしに戻された。

07shibakawa右の端は和室、外から見ると出窓風の縁側を支える持ち送りのデザイン(フリルのような曲線とハートの穴)など、とても和室とは思えないが。

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00shibakawaかわいいハートのカットワークが施された和室の外観



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11shibakawa玄関はベランダのフランス窓(古典様式で云う直接出入りできる窓)と並列でデザインされている。玄関ホールは次回アップするが金色の渦巻き模様の壁。ベランダの外壁はブロンズ色の渦巻き模様。



12shibakawa芝川の川をデザインしたのかと思うが逆台形のカットワーク、矢羽根のような欄間はセセッションを意識している。

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施主:芝川又右衛門
先代が大阪伏見町に唐物商(輸入業)百足屋(むかでや)を興し、明治13年の徳丸長者鑑(とくまるちょうじゃかがみ)に三井・住友などと共に名を連ねた豪商の一人。
明治29年に兵庫県西宮市、甲山の東に果樹園を拓き「甲東園」と名付けた。大正10年には現在の阪急電車今津線が開通していたが、「甲東園」の近くには停車場が無く、芝川又右衛門は阪急に「駅」の設置を依頼し、設置費用と周辺の土地一万坪を提供した。「甲東園」という駅名、地名の由来でもある。
明治44年に郊外の別邸として建てられたこの住宅は、さらに日本庭園や茶室を備え関西財界人の社交場となった。
隠居後はここを本宅として震災前まで芝川家が暮らしていた。
武田五一は終生芝川家と深い関わりを持ち続け創建時、増改築、家具類の設計図が残され、芝川家が継続する会社に保管されている。


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by gigi-yo-ko | 2016-06-19 12:00 | 兵庫県