2012年 07月 23日
楽々荘 (旧田中源太郎邸)
ここは昭和23年以来、料理旅館「楽々荘」として、引き継がれている旧田中源太郎邸。洋館、和館、と見事な日本庭園がある。
田中源太郎は京都政財界で活躍した実業家。起こした事業は銀行、電力会社をはじめ、その数30を超えるという。中でも京都鉄道(旧:山陰線・現:トロッコ列車)の創設とこの建物は関わりが深い。田中は丹波・亀岡の発展にはどうしても鉄道が必要だと考え、情熱をかけた6年間の難工事の末、明治26年に嵯峨-亀岡-園部が開通した。この開通に合わせて、迎賓館を兼ねた洋風建物にする為に5年の歳月をかけて生家を改築した。洋館の建材にはトンネルや鉄橋と同じ煉瓦が使われた。2階の南側から東側にかけて全面にガラスをいれたベランダは解放感にあふれ、サンルームさながら。洋館の内部は竣工当時の様子がよく残されている西洋と東洋が融合した明治の館。
大正11年、山陰線清滝鉄橋の脱線事故、奇しくも田中はこれに乗り合わせて69歳の生涯を閉じた。
所在地:亀岡市北町44
建築年:1898年(明治31)頃
構 造:洋館煉瓦造2階建一部木造 和館木造平屋
設 計:
国登録有形文化財 洋館・和館・玄関(門)
角パイプの椅子脚は部屋につり合わない。
上から下まで総ガラス張りのベランダ!
2階を見学したいと申し出たところ、食事をしている間にベランダの鉄扉を開けて下さった。 京都とはとても思えない光景。南の国の避暑地のよう。 しかし、ここは冬格別寒い亀岡なので、ガラスを入れたベランダが造られたのではないかと思う。ベランダは本来、南の暑い国で夏を快適に過ごす為に工夫されたものなのでガラスは入らない。これが洋館の典型的なスタイルとして明治の日本に入ってきた。
京都では山形有朋の別邸「無鄰菴」・平安神宮神苑、大阪では市立美術館の「慶沢園」などの名園も残している。
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