2016年 09月 11日
大阪市水道記念館 (旧第一配水ポンプ場)
『今年の夏休みは、水道記念館へ行こう!』という大阪市の子供向けのお知らせを見つけて私も出掛けた。電車で通過中に遠目に見ていたのと、近くで真正面から見るのでは「違う建物か」と思う程印象が違う。
1914年(大正3)大阪市水道の主力ポンプ場として建設されたネオルネッサンス様式の美しい建物は、1986年(昭和61)に新しいポンプ場が建てられるまでの72年間このこの用途で使われた。
役目を終えた建物は、その後耐震改修工事を行い、1995年(平成7)大阪市水道通水100周年を記念して水道記念館として再生された。・・・しかし現在は諸事情により閉館中。新しい用途で期待の再生であったが、運営を継続す事の難しさ、今は春休みと夏休みに期間を区切っての開館するという・・・。なんとも悲しい話でブログにアップするのも躊躇するのだが私にとってはやっと近くで見る事ができた建物であり、もっと多くの人に見てほしい名建築なので記事にした。
所在地:大阪市東淀川区柴島1-3-1
建築年:1914年
構 造:煉瓦造平屋建
設 計:宗 兵蔵・・・関西の建築界の重鎮と云われた人で奈良国立博物館、生駒ビルディング、莫大小会館、灘高・灘中などの作品が残されている。
文字の左右にある装飾は一見電球かと思った (あ、ここは発電所ではなかった・・・水道局)。
中央に下がっているのと同じ花。明治、大正期の洋館にはこの花はよく使われている。
こんな所に壺の飾りを発見。
凝っているのにスッキリとしたデザインの照明固定プレート。
建物の側面
2016年 08月 21日
畝傍駅(うねびえき)貴賓室
初代天皇とされる神武天皇を祀る橿原神宮の最寄駅が畝傍駅であった。
かつては皇族方はこの駅でお召列車を降り、一時休憩されて車で参拝に向かわれたので、専用の貴賓室が設けらた。
この辺りの民家である大和棟といわれる屋根の面影を残した木造の駅舎の右側には専用の玄関があり、内部はほとんど当時のまま残されている。外観は和風の造りであるが、やはり皇室関係は洋風が意識された和洋折衷の内装になっている。近年は近鉄電車を使われるようになり、皇族の来訪が無くなり久しい今は無人駅で1日の乗車数400人程でひっそりとしている。普段この貴賓室は閉鎖されているが、年一回の一般公開がある。(貴賓室が造られた駅は全国でも20カ所程で稀少な駅の一つであった)
所在地:奈良市八木町
建築年:1940年(昭和15)
構 造:木造平屋建
設 計:
左側が一般向けの駅舎、改修時に変ったようだが、勾配の違う二段の屋根に大和棟の面影が残る。右側は貴賓室。
両側へ引き分けて広い開口を持つ専用の玄関。
貴賓室は全体で100㎡程の広さがあり、玄関を入ると広い廊下があり、一番奥にホームへの出口があった。
右側に控えの間と洗面所、トイレそして一番奥が30㎡程の主室。この写真は廊下の天井。
廊下の壁:和の造りではあるが、腰壁、ドアなど洋風を取り入れてある。
控え室の天井:壁面の写真がないのは掲示物が多くて撮れなかった。
応接セットは神戸駅に保管されているらしい。
今なお木造の駅舎と云う事で鉄道マニアにもよく知られているらしい。
2016年 08月 14日
奈良県立畝傍(うねび)高等学校
本瓦屋根が並んだパラペットに、宝型屋根、相輪を載せ一見寺院のように見えるが、細部を順に見てゆくと整然と並んだ縦長窓、窓下にはタイルが使われ、全体の意匠は洋風建築の基本とも云われる三層構成である。
「洋館に和風の屋根を載せた」帝冠様式と云われるものと似てはいるが、国粋主義や、日本的表現という意識ではなく、和洋を巧みに取り入れた日本風折衷様式といえる。
正面である北館は堂々とした寺院風であり、渡り廊下で繋がれた南館は切り妻屋根を持ち、正面を引き立てるべく、少し控え目な民家風。建築時期がセセッションの流行期であり、設計者・岩崎平太郎は武田五一(セセッションの導入者)の弟子でもあった事からセセッション風の幾何学装飾も上手く使われている。
所在地:橿原市八木町3-13-2
建築年:1933年(昭和8年)
構 造:鉄筋コンクリート造3階建
設 計:奈良県土木営繕課技手 岩崎平太郎(古社寺の修復の仕事に携わっていた事から和の伝統建築に詳しい)
国登録有形文化財(北館、南館、渡り廊下、倉庫)
私も奈良と京都は空襲がなかったという一般論を漠然と信じていたので、こうして目の前で弾痕の補修跡を見ると・・・目が覚めるような衝撃だった。(学校で保管されている補修前の写真も見せて頂いた。)
後で改修された物であるがアールデコ風の庇。
明治39年に制定された「校訓」を現在まで引き継がれている。
奈良県が実施した公立高校耐震診断では「A1」を取得。廊下を見ると柱が多くていかにも頑丈そう。
「A1」は耐震工事の必要性がないということだが、都度毎に手を入れているそうだ。
現在は校舎の西側。
2016年 08月 07日
ジュール フェリェ・ラ・バンク (旧六十八銀行八木支店)
銀行の用途を終えた建物は、非日常の贅沢な空間を生かして結婚式場・フランス料理店とし現在使われている。曳家により後へ数メートル移動して改修工事が行われた。
銀行建築らしく重厚で左右対称形の建物であるが、古典様式を基本にしながらも、昭和初期らしくモダンに整理してアレンジしてある。印象的なのはギリシャのイオニア式風の柱頭飾りは四角い渦巻きで雷文風、日本式に言うと「卍崩し」のデザイン。入口廻りにはタイルと石が組合わせてあり、要石(かなめいし)風の装飾も直線で構成されている。内部は店舗用に改修されているが、ベランダ(回廊)の手摺りなどは幾何学的デザインで、当時の流行が取入れられている。
所在地:橿原市八木町1-2-13
建築年:1928年(昭和3)
構 造:鉄筋コンクリート造2階建
設 計:奈良県技師 舟橋俊一
奈良県で最初の有形文化財であり、県内現存最古の鉄筋コンクリート造。
手前の石の腰壁部分までが客溜り(ロビー)で、奥が営業室だったことが解る。
2016年 07月 31日
奈良国際博物館・仏教美術研究センター (旧奈良物産陳列所)
奈良公園に似合わないと不評だったというネオバロック風の国際博物館の近くに、これとは対象的な和風建築がある。もとは奈良県物産陳列所として建設されたもので、西洋建築を修めた日本人建築家による最初の和風建築とされている。
外観を見てゆくと、入母屋造りの正面には唐破風の車寄せと玄関。細部の造りは舟肘木(ふなひじき)、人字型割束(にんじけいわりづか)、虹梁(こうりょう)、蟇股(かえるまた)と飛鳥時代から奈良時代の日本の伝統的な建築様式が取入れられている。ところが窓に目を移すと八弁花の丸窓やイスラム風の飾り窓、縦長の上げ下げ窓。この建物は一見和風建築であるが、小屋組み(屋根の造り方)はクイーンポストトラスで木造西洋建築の工法が取られている。内部は柱の見えない大壁造りで、外観よりもずっと西洋館である。
設計者・関野貞(せきのただし)は大学在学中から、宇治の平等院鳳凰堂(10円玉でおなじみ)に長く関心を持ち、調査を続けていた。これを意識してデザインしたと考えられているが、単なる写しではなく、西洋建築の要素を取り入れつつ、和風建築の要素を生かしたバランスの良い感覚は日本建築史家であり、西洋建築を修めた関野の力量だといえる。
この建物は仏教美術の図書館として、週2回開館するが、この日は基本的に建物の公開ではないし、敷地内部からの写真撮影もできない。以下の写真は敷地の外から写したもの。
館内の中央吹き抜け部分は「関野ホール」として、建物について詳しい説明パネルが設置されている。過去に不定期で数回一般公開がされたが、今後の公開予定などは決まっていないそうだ。
所在地:奈良市登大路町50
建築年:1905年(明治35)
昭和59年~63年:仏教美術研究センターとして活用するための保存修理が行われ一部当初の様子に復原された。
構 造:木造2階建
設 計:関野貞
国重要文化財
正面の車寄せ:唐破風の屋根の下に見えるのが本蟇股、虹梁だと思うが、私には初めての言葉ばかりで、
現地で買った解説書を頼りに。
中央楼 太瓶束 笈型
中央楼・上層窓 東洋と西洋の接点と云われるイスラム風の装飾窓
東楼 太瓶束 笈型
屋根下、梁の下に見えるのは舟肘木、高欄の下に見えるのが人字型割束
館内で購入した参考図書
奈良国立博物館・仏教美術研究センターの耐震補強改修工事の完了を記念して、建物の歴史などを詳しく
紹介する冊子が発行された。