2016年 10月 30日
西本願寺伝道院
伊東忠太は法隆寺とパルテノン神殿は始発点は同じ兄弟であるという「法隆寺建築論」を明治26年に建築雑誌に発表した。パルテノン神殿は木造が起源である事は今定説になっているが、日本の伝統的な木造建築も石造(煉瓦造)に進化できるはずだと考えた。同じような考えを持つ門主・大谷光瑞の支持を得て実験したのがこの建物だという。随所に見られる木造を石造に置き換えたような造りはこの結果である。
伊東忠太は1902年(明治35)から3年かけてアジア欧米を行脚し各地の建築物を研究し、20世紀はじめに大谷光瑞は仏教伝来の道筋を探るべくアジア各地へ探検隊(大谷探検隊)を3回派遣した。お互いに広い視野から日本文化を見つめた両者によってこの建物は完成した。
伊東の仮説は正かったとは言い難いがのちの近代建築の発展に大きく貢献した。
所在地:京都市下京区
建築年:1912年(明治45) 保存再生工事:2011年(平成23)
構 造:煉瓦造3階建
設 計:伊東忠太
煉瓦と石の外壁は19世紀の英国風のようでもあるがその上にはイスラム風の玉ねぎ型のドーム。
№335