20年間金属の建材で覆われていた銀行建築がよみがえる
丼池(どぶいけ)といえば戦前は高級家具の問屋街、戦後は繊維関係の大集積地として大阪の復興を支えた地域としてよく知られている。ところが繊維不況の折りにはいち早く都心のシャッター通りと化した。
元々この建物は愛徳貯蓄銀行本店として建設された由緒正しい銀行建築であった。戦後の混乱期を経て丼池の地域の人達が会社を設立し、この建物を買い取り事務所として使用してきた。ちょうどバブル時期にさしかかり何もかも新しくなくてはいけないと思っていた時代。建物は全面を銅製のサイディング(金属性の建材)で被い、見た目の綺麗さ、新しさを造ったのであろう。20年という長い年月がこの外観であったので、サイディンで覆われた姿を知っている人の方が多いと思われる。私もその一人。
2014年4月から始まった丼池繊維会館リノベーションプロジェクトではモダニズム黎明期の銀行建築が雄姿を現すであろうと、期待してサイディングを撤去すると、サイディングを支える無数のアンカーボルト、おびただしい数の目印スプレーまさに傷だらけで想定外の状況が出現。リノベーションプロジェクトでは何を継承し、どのように再現するかの検討が重ねられた。この結果、「当時最先端のモダンな設計思想を優先しながら、輝かしい部分だけでなく歴史の波にもまれながらも生き残った過程も後世に伝えて行こう、歴史を大事にする一方で新しい快適な設備も積極的に取り入れよう。」との方針が採用された。このように時期毎の様子を残す方法は今まであまりやらなかったリノベーションの新しいスタイルといえる。(以上は建築ジャーナル2016年6月号記事を参考)

所在地:大阪市中央区久太郎町3-1-16
建築年:1922年(大正11) 2016年3月:リモデル工事竣工(リモデル設計:高岡伸一建築事務所)
構 造:鉄筋コンクリート造3階建
設 計:不詳

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金属性のフラットなドアに刻まれた連盟事務所のロゴタイプ。
繊細で美しいタイプフェースはこれから目指す方向を示しているかのよう。


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写真では解りにくいが、丸く折り上げられた当時の天井が出現。
窓は断熱性のよい木製サッシに取り換え、外壁のタイルの隙間も2016年の歴史としてあえて補修跡を残した。


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2階は陶芸家の展示場兼ショップに使われている。


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塩野義製薬研究所の木製家具、坂倉順三によるオリジナル。



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ペントハウスの外観はそのままで、レンタルキッチンにリモデル。現在は毎土曜日カレーショップが営業している。
写真は無いがここから屋上に出る事ができ、ビルの谷間の外気が清々しい。


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# by gigi-yo-ko | 2017-01-15 12:00 | 大阪府 | Comments(0)

京都で現存最古の洋風商店建築
近代建築が多く残る三条通にこの中でも古い煉瓦の建物がある。明治の中期に時計店として建てられたハイカラな建物。設計者は解っていないが日本人大工が洋風建物を見よう見まねで工夫して造ったようだ。木造の骨組みに煉瓦や石を貼りつけた造り方で仕上げられている。
現在は衣料品のショップとして使われているが、外観は時計店と云う事で重厚感・・・最初は中央に一段高く時計塔があったと聞く。
店内に入ってみると100年以上経過しているのに、内部が殆どそのまま残っている事に驚いた。右手に大きい金庫室、左側の店内中央には二方向から上がる華麗な木製の螺旋階段。階段が美しいので店内の装飾物のようなの役目も担っている。この階段は恐れ多くも使って良いそうで、そろりそろりと2階の売り場へ上がる。1階2階の天井と壁の境目の装飾も、階段踊り場のカーテンボックスもたぶん建った頃のままで今、ショップとして使われている。何度も店子は変っているが、オーナーの考えがしっかり貫かれているからだと思う。

所在地:京都市中京区三条通富小路東入中之町23
建築年:1890年(明治23)
構 造:木骨煉瓦造
設 計:不詳
国登録有形文化財
京都市民が選ぶ文化財(第1号)

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見ていてなぜか落ち着かないと思ったら中央のアーチを支える柱が無い。洋風建築のアーチは根元を柱で支えてあるのが普通。
ここではアーチの下は曲面のガラス、ショウウインドウがあるのみ。和式工法の梁でこの大開口を支えてあるのかな~。


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これはガラスウインドウのカーブ部分の桟の頭(柱頭)



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右奥の金庫室の扉には全体に絵が描かれていて閉じると一つの絵画のようになる。


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外が暗くなると店内が美しく浮かびあがる。ステンドグラスも透かし彫りの欄間も昼間より数段映え、店は生き返ったよう。






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# by gigi-yo-ko | 2016-11-13 12:00 | 京都府 | Comments(2)

消防旧高砂分署

地域の消防署として利用された建物を展示施設に
旧高砂町時代に高砂消防会館として建てられ、約80年間地域の消防拠点として利用された建物は老朽化していた。これを改修保存して建築当初の姿に近づけた。県の歴史的景観地区にあり、今年(2016)4月から消防の歴史を伝える展示施設として土日は開放されている。
元車庫であった所には大正時代の手動消化ポンプが展示され、左手の平屋部分にはかってあった「旧南本町巡査派出所」の表札がかけられた。
この派出所はアールデコを意識した、ギザギザのモダンな意匠が斬新だったと思う。

所在地:高砂市高砂町南本町
建築年:1935年(昭和10)
構 造:鉄筋コンクリート造2階建
設 計:

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№345



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# by gigi-yo-ko | 2016-11-09 12:00 | 兵庫県 | Comments(0)

鐘淵紡績高砂工場の迎賓館として建てられた
明治11年創業の鐘淵紡績が社内外のゲストの接待や宿泊用に建設された建物。高砂は鐘紡と三菱製紙で大きく発展した街であるが、鐘紡は繊維不況の昭和期に撤退した。鐘紡の化学部門を引継いだ(株)カネカが後を運営している。海を埋め立てた広大な工場群はすべてカネカの工場である。
現在この建物は(株)カネカの社員の福利厚生施設として使われているので、内部は非公開。半円形に突き出たの2か所の階段室が特徴で大きなステンドグラスが目を引く。横に長く左右に2棟ある建物を中央で繋いだような形になって入口もそれぞれにある。おそらく用途分けして使われていたのだろう。建物の「出汐館」の名称は謡曲「高砂」の一部から引用されている。

所在地:高砂市西畑1
建築年:1999年(昭和11)
構 造:鉄筋コンクリート2階建て  
設 計:

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高砂には年に一度9月に歴史的建造物をライトアップするイベントがある。



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左側には寄棟瓦屋根の玄関ポーチがあり、右側にはモダンなアールデコ風のポーチを持つ入口がある。



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№336




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# by gigi-yo-ko | 2016-11-06 12:00 | 兵庫県 | Comments(0)

西本願寺伝道院

東洋と西洋の建築、始発点は同じだという挑戦
京都の中心部、仏具店が軒を連ねる門前町に一風変わった建物が見えてくる。伊東忠太の設計による、真宗信徒生命保険の本館として建てられたもの。
伊東忠太は法隆寺とパルテノン神殿は始発点は同じ兄弟であるという「法隆寺建築論」を明治26年に建築雑誌に発表した。パルテノン神殿は木造が起源である事は今定説になっているが、日本の伝統的な木造建築も石造(煉瓦造)に進化できるはずだと考えた。同じような考えを持つ門主・大谷光瑞の支持を得て実験したのがこの建物だという。随所に見られる木造を石造に置き換えたような造りはこの結果である。
伊東忠太は1902年(明治35)から3年かけてアジア欧米を行脚し各地の建築物を研究し、20世紀はじめに大谷光瑞は仏教伝来の道筋を探るべくアジア各地へ探検隊(大谷探検隊)を3回派遣した。お互いに広い視野から日本文化を見つめた両者によってこの建物は完成した。
伊東の仮説は正かったとは言い難いがのちの近代建築の発展に大きく貢献した。

所在地:京都市下京区
建築年:1912年(明治45)  保存再生工事:2011年(平成23)
構 造:煉瓦造3階建
設 計:伊東忠太
重要文化財



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石、煉瓦、タイル、テラコッタ、木材、ガラス、あらゆる材料を調和させてある。


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煉瓦と石の外壁は19世紀の英国風のようでもあるがその上にはイスラム風の玉ねぎ型のドーム。



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伊東忠太は細部に凝る人。見れば見るほど発見がありおもしろい。


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建物を守る怪獣達はみんな羽根が付いていてどことなくカワユイ。


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この日は内部も公開されたが、館内撮影は禁止。


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№335



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# by gigi-yo-ko | 2016-10-30 12:00 | 京都府 | Comments(0)